2008年02月29日
習字で書いたあの言葉
最近、ふと『努力』とはなんぞや?
と、気になってネットで調べてみた。
ポチッと押せば、続々と検索結果が。
いや~便利な時代になったもんだな~。
何者かは知らないけどジェイコブ・リーズって人の言葉
「孤立無援の窮地に陥った時、私は石切り場へ行く。そこでは石工が、岩に向かってコツコツとハンマーを振っている。
もう100回も叩いただろうか、それなのに岩はヒビ1つ入らない。でも、101回目にその岩は真っ二つになるかもしれない。しかもそれは、最後の一撃のせいだけではない。
それまでにコツコツ続けられた努力のたまものなのである。」
う~む。なかなか深いお言葉。
継続こそ力なりということでしょうか。
目的を達成するための手段を理解している場合は、迷いなく進み続けることができるかな。
でも、その手段がわからないときはどうしたらよいでしょうかね。
人によっては、諦めちゃうかもしれないし、あがくかもしれない。
目的・目標が、その人にとって、どれだけ大切なことであるかがポイントになってくるのかな。
自分がやりたいこと、かなえたいことのためだったらごく自然にやっていることが、他人から見れば、「あの人、努力してるなあ」と見えるかもしれない。
本人が努力してるという意識がなくても・・・。
努力と思わないでやってることが努力?
う~ん・・・。
だけど、目的・目標が常に自分の好むことであるとは限らないんだよな~。
この場合、それを達成するためには、ある程度の苦痛が伴う気がする。
目的・目標を達成するために労力を使うことには変わりはないのに、気持ちの持ち様はずいぶん違うかも。
努力の定義って難しいなあ。
いや~なことに対しての努力って、なんだか自分の中で「こんだけ努力してんのに・・・なんで・・・」というネガティブな要素がつきまとってる気がする。
もしくはそれ以前に、めんどくさいからやだな~と、その手前で止まっていたり。
例えば、テニスで考えてみる。
人からはよく、
「すごいね~、勉強熱心だね~。」
とか、
「なんでそんなことまで知ってるの? マニアック物知りだね~。」
だとか、
言われることが多い。
でも、そう言われても、「好きだから」としか言いようがない。
別に熱心に勉強してるなんて思ったことは一度もないし、聞かれなければ、自分から語ることもない自然なこと。
こうやって考えていくと、『努力』という言葉。
そういえば、小さい頃からあまり好きな言葉ではなかったような気がする。
習字の授業の時に、半紙に書かされたっけ。
キライなことやイヤ~なこと、なんとかどうやっても避けることができない時に頑張ることが、自分的には努力ってことになるかなぁ。
まあ、何をやるにしても、
「これだけ努力してるのに・・・頑張ってるのに・・・」
と、周りにアピールすることだけはやりたくないな。なんだか言い訳くさい。
いや~なことが相手でも、自然にできる(自然に近づける)ように、
方法を変えるかどうにかする。
101回目は是非とも快感で~






